ハイパーテキストなるもの

みなさんが見ているwebのページは、HTML…ハイパーテキストマークアップランゲージというもので出来ています。自分のページを作る時にちょっといじってみたという方も多いはず。

さて、「ランゲージ」はそのまま「言語」という意味なので説明不要、「マークアップ」についてはまたの機会に。その前の「ハイパーテキスト」について、僕なりの考えを書いてみようと思います。


ハイパーなテキスト。書物を超えるもの。ハイパーテキストの提唱は1960年代、概念自体は1940年代からあったと言われていますが、特徴の一つに「ハイパーリンク」なるものがあり他の関連情報(テキストとは限らない)を結びつけることが可能。いわゆる「リンク」です。

たとえばこんなの…「ハイパーリンク」とは: http://e-words.jp/w/E3838FE382A4E38391E383BCE383AAE383B3E382AF.html (e-Words)

上記リンク先のe-Wordsでも、本文中の用語説明や左側の索引、右側のランキングなど、それこそ世界中のあらゆる情報に瞬時にアクセスすることができます。ハイパーテキストの持つすばらしい検索性の一つです。


ところで、私たちはどうしてwebサイトを見るのでしょうか。きっと、文字を読むため、画像を見るためにwebサイトを見ているのではないと思います。その文字や映像、音声に含まれている情報を得るためにそのwebサイトを見ているはずです。その伝えたい情報を効率よく保存・伝達するため、しかたなく文字として記録したり、写真や画像として送信しているのではないでしょうか。

記録したいことや保存したいことが「文字」として符号化された時点で、その情報は多くのものを失いながらも非常に高い保存能力を持ちます。さらに、その文字をコンピュータに保存することで、幅広い再現性が生まれます。

文庫本に記録された文字から情報を得るためには、数多くの制約をクリアしなければなりません。
・本を保持し、ページをめくるために必要な自由に動く2本の手があること。
・その本を見ることのできる、ある程度の視力を持った目があること。
・その本を快適に見るため、顔面より30〜40cm程度の距離を保ちつづけることのできる環境
などなど。

私は、情報を得るためにこれらの制約から開放してくれるのが、いわゆる「ハイパー」なテキストの持つ高い再現性だと思うんです。

表示物が20cm先でも10m先でも適切な文字の大きさに自在に変更できる。読みやすい形に整形される。現在はまだ再現性が低いのですが、表示物が見えない環境でも、目が見えない人にも音声で伝えることができるという事。そしてこれから先、文字や音声に変換する必要もなくなるのかもしれません。

「本が必要ない」と言ってるわけではありません。行間や文字の大きさ、ページ送りに芸術性を感じることも重要です。ただ、取捨選択できるに越したことはないと思うのです。そして紙も人間の記憶も、いつか朽ち果てます。


情報の再現技術はこれからも進化しつづけていき、処理技術や保存性も然りです。古くから人間は自分の公開したい情報を公開し続けてきましたが、現在は距離の制約を超え何処に存在する情報でも一瞬でアクセスできます。その中で有益な情報を選択して取得するもしないもその人の自由ですが、ただそのためには、まだまだ乗り越えなければならない壁は大きいと感じます。一つは言語の壁。私は日本語以外ろくに読めません。もう一つはインフラの整備。先進国は別ですが、大半の国はパソコンや携帯電話を誰しもが持つ余裕はありません。

これらの課題がクリアされて進化したネットワークを持つ時代に僕が生きていたらいいな。