生まされた時に決まっていること

天才とは、99%の努力と1%の才能である

って誰か言ってた、と学校だかテレビだかで教わりました。子供心に、「ああ、才能がなくてもがんばればなんとかなるんだ」と思っていた気がします。閃きとか、霊感とかそんな言葉もあったような。

彼の言った言葉は今でも正しいと思います。割合も実に絶妙。ただ、その言葉の意味を最近考えさせられます。

本当に言いたかったことは、「どんなにがんばっても才能がなければ99にしかならない。才能がなければトップになることはできない」ってことなんではないかと。

才能のない人が努力しても、才能のある人が努力した成果には勝てません。この年になってようやく理解できました。

でも実はそれも逆で、トップをとった結果「この人は才能もあって努力もする」と言われるのかもしれませんが。残念ながら、ある成果に対して何割が才能で何割が努力なのか知る術はありません。

ただ、「才能」というものは存在します。人間に個体差がある時点で証明されています。さらに今の科学では遺伝子をひもとき、固有の繰り返しパターン等を解析することでその人にどんな傾向があるか少しだけですがわかるようになりました。

性格は後天的なものばかりでなく、先天的にも決まっている。人はそれを才能と呼び、自分に特化した道を目指しさらにその才能の99倍ぐらい努力した人のみ天才と呼ばれる。

実はこの前実家に帰ったとき、自分の子供の頃の話を親からされたんです。その日は健康診断だったらしく、3,4歳ぐらいの僕は同じ年頃の子供達といっしょに病院にいました。他の子供たちはみんなのもってるおもちゃなどに興味津々な中、僕が興味を持ったのは「体重計」。いわゆるヘルスメーターではなく、昔の精密でごっついやつです。もちろん自分の体重に興味があったわけではなく、体重計が体重を量る「しくみ」が気になってしょうがなかったらしい。変態か。今になって聞いてみるとやっぱりどこかおかしな子供だったんですね。

天才になりたい。でも僕は努力することが嫌いでしょうがないんで、天才にはなれないようです。それでも後悔しないように自分の道は自分で決めてきました。間違ってはいないと思う。


→俺が決めたことって何だ へ続く。