俺が決めたことって何だ

人って考える生き物らしい。自分の生きる道は自分で決めるらしい。
考えるとか決めるって一体どういうことだろうってことを昔からよく考える。

僕が今していることは、記憶にある単語をルールに沿って配置し、送信しているだけ。プログラムでもできそうね。

誰かに今食べたい食べ物を聞いたら、「レタスチャーハン」と答えた。彼の脳内では、今までレタスチャーハンを食べておいしかった記憶や、現在の空腹量、血糖値や健康状態および体温、外気温や湿度、この前に食べた物の記憶、TVCFや看板などの影響で、この答えが「算出」されたんだと思う。少なくとも僕はいつでもそうだ。これはよくできた人工知能ならシミュレートできることだろう(2006年現在の人工知能では全く再現不能だが)。

ここに、「ランダム」な要素は存在するだろうか。そもそも「ランダム」や「カオス」、そして「予測不可能性」とは一体何か。

サイコロを降って何の目が出るかはわからない。わからないからゲームとして機能する。だが、サイコロの射出角、サイコロや地面の形状、剛性や弾性、それぞれの温度や湿度などを考慮し計算すればどの目が出るかぐらい求められるはずである。規模は大きくなるが同じように、蝶の羽ばたきまで、微生物の呼吸まで、マグマの対流や宇宙線までシミュレートできれば、地球の未来の天候も計算で求められるかもしれない。いくつも地球を用意しなければならないため現実的ではないが、この世界の全ての事象を理解できたなら理論的には可能であるかもしれない。人類がそこまでたどり着くのは不可能だと思うが。

参考:地球シミュレータ http://www.es.jamstec.go.jp/esc/jp/ESC/mission.html


もちろんロボットの行動も人間の行動もこの摂理に含まれている。人間の脳(脳に限らずだが)ではアミノ酸や酸素や電流が流れ化学反応が行われている。僕はこの自然現象と水が流れたり雨が降ったりする自然現象とで明確な差を見つけることができないし、コンデンサに電流が蓄えられ、放出されるのとも限りなく似ていると思う。

自分を例に取って考えるとこの問題はいかにも難しい。でも他人に置き換えて見るとパターン化されたものが見えてくるはずだ。実際に「心理学」というそのパターンを解析する学問が存在するし、コンピュータ技術者はそれを作り出そうと躍起になっている。

人間とコンピュータの差は、柔らかいか固いかぐらいの差しかないんじゃないか。そう考えると、ここにある自我も幻のように思えてくる。自分で考え、行動しているつもりでも、結局は一つの目的のための計算結果でしかない。

あなたは、ウイルスのモデル図が生物に見えるだろうか。ロボットのようには見えたことはないだろうか。遺伝子の定めがコンピュータのプログラムに見えたことはないだろうか。


→人の生きる目的 に続く